津山・美作周辺の観光スポット1 津山洋学資料館など

津山・美作周辺の観光スポット1

箕作阮甫(みつくりげんぼ)旧邸
1799年(寛政11年)9月7日、箕作阮甫は箕作貞固(三代丈庵)の第三子として西新町に生まれ、1812年(文化9年)戸川町に転居するまでの13年間をこの旧宅で過ごしました。
阮甫は、父・兄の没後家督を継ぎ、藩の永田敬蔵・小島廣厚から儒学を学ぶ一方、京都に出て竹中文輔のもとで医術習得にも励みました。修業を終えて京都から帰り、本町三丁目で開業し翌年結婚しました。その後、藩主の供で江戸に行き、津山藩医宇田川玄真の門に入り蘭学の習得に努めました。以後、学問研究のため三年間江戸詰の許可を得たのです。いったん津山に帰りましたが、1831年(天保2年)以後は、家族とともに江戸に住みました。
その後、深い教養に加え、持ち前の語学力を発揮して、ペリー、プチャーチンの到来時に外交文書の翻訳に携わり、日本の外交交渉に重要な役割を果たしました。また、著作に専念し、医学関係に限らず、語学・地理・歴史・兵学等多岐にわたって出版するなど、洋学の発展に寄与しています。
一度は隠居しましたが、幕末の状況はこれを許さず翌年には「藩書調所教授職」に再度登用され、洋学をもって始めて幕府直参に取り立てられましたが、翌年江戸湯島天神中坂下で没しました。行年65歳でありました。

出雲街道
古代より津山盆地は、日本海の村である出雲から都への通行の要衝でした。
戦国時代(1467〜1590)、姫路城が築城された時、津山は姫路城への道の重要な中継点となりました。1604年、津山城築城と城下町の計画が始り、この時、道は津山と四方の町々を繋ぐように敷設されたのです。地方の領主(藩主)をしっかりと支配下に置いておくために、江戸(現在の東京)の新幕府は参勤交代を導入しました。この制度は封建(時代の)藩主に家族をそれぞれの領地に残し、ある期間江戸に住むことを要求するものでした。
1648年、封建(時代の)藩主たちの江戸への旅は出雲から姫路への旧街道を使い始め、そして松江から姫路への道は出雲街道として知られるようになりまた。交通の増加とともに店や料理屋が旧街道に出現し、津山は繁栄したのです。
1860年、街道幅は広げられ、松の木々が街道添いに植えられ、出雲街道は梶村家の南の境界に添って東西に走っています。

作州城東屋敷
出雲街道を歩いていると、白壁と火の見櫓がひときわ目をひく屋敷があります。ここには「だんじり展示館」があり、県指定文化財の豪壮なだんじりが4台展示され、見ごたえも十分。展示されている「だんじり」は10月の津山まつりに繰り出し、市街地をにぎやかに練り歩きます。

津山洋学資料館
往来盛んな出雲街道に面して建つ、赤いレンガのエキゾチックな建物は、一本の釘も使用していない千鳥破風入母屋造り。和と洋が重厚に調和し、歴史を感じさせるこの奇館は、行き交う人が立ち止まって仰ぎ見るほどに、その存在感を漂わせています。
そんな面もちですが、実は大正9年に銀行として建築されたものです。昭和53年に、現在の資料館としてオープンし、幕末から明治にかけて活躍した津山出身の蘭学者の宇田川玄随・箕作阮甫らの資料を展示しています。


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