津山・美作周辺の観光スポット4 宮本武蔵生家[武蔵の里]など

津山・美作周辺の観光スポット4

旧因幡街道本陣(岡山県美作市古町)
鳥取藩主が参勤交代の折に本陣として利用した宿泊施設。御成門と数寄屋造の御殿が当時の姿を伝える。近くには脇本陣もある。

現代玩具博物館・オルゴール夢館(岡山県美作市湯郷319-2)
ヨーロッパのものを中心とした玩具、アンティークオルゴールを展示する博物館。おもちゃツアーやオルゴールコンサートが毎日開催されている。他にミュージアムショップやおもちゃで遊べるプレイルーム、購入した工作キットを組み立てることができるアトリエ(工作室)がある。

奈義町現代美術館(NAGI MOCA)(岡山県勝田郡奈義町豊沢441)
建築家・磯崎新氏のプロデュースにより、「作品=空間」というコンセプトのもとで建築された美術館。荒川修作+マドリン・ギンズ『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』、岡崎和郎『HISASHI-補遺するもの』、宮脇愛子『うつろひ』などが見もの。美術館ギャラリーでは企画展も開催している。

宮本武蔵生家[武蔵の里](岡山県美作市宮本)
武蔵の里にあり、武蔵が少年期を過ごしたところ。1942年(昭和17)に焼失し、現在の建物は瓦葺。隣接する平尾家は武蔵の姉おぎんの次男が住み、武蔵家を相続したという。ともに見学は外観のみ。

武蔵資料館[武蔵の里](岡山県美作市宮本94)
武蔵の里にある資料館。非凡な芸術家としても知られる武蔵の「達磨頂相図[だるまちんそうず](複製)」や、自作の「瓢箪鯰図鍔[ひょうたんなまずずつば]」(重要文化財)などを展示。

武蔵の里(岡山県美作市宮本)
武蔵の生家跡や墓、武蔵ゆかりの讃甘神社[さのもじんじゃ]などに加え、武蔵資料館、クアガーデンなど多彩な施設がある。

武蔵の墓[武蔵の里](岡山県美作市宮本)
武蔵の里にある武蔵神社の一角、林の中にひっそりと眠る。武蔵が晩年を過ごした熊本から分骨したと伝えられる。隣には父、無二斎の墓もある。


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津山・美作周辺の観光スポット3 津山城(鶴山公園)など

津山・美作周辺の観光スポット3

作州城東屋敷(岡山県津山市中之町19)
江戸時代の町家を復元した無料休憩所。白壁と火の見櫓が目をひく。屋敷裏のだんじり展示館には、県指定有形民俗文化財のだんじり4台を展示。10月中旬の津山まつりには、各町内のだんじりが大隅神社まで操り出される。

衆楽園(岡山県津山市山北628)
1657年(明暦3)、津山藩主森長継が別邸を建てたところに京都仙洞御所を模して造った池泉回遊式大名庭園。当時は今よりも3倍ほど大きく、他藩の使者をもてなすための接待所としても使われていた。中国山地を借景としており、南北に長い池には中之島、蓬莱島、紅葉島、霧島と4つの島が浮かび、風月軒と清涼軒が立つ。優雅な景観は国の名勝に指定されている。

城東町並み保存地区(岡山県津山市橋本町〜東新町)
津山城跡の南から東にかけての旧出雲街道周辺の古い町並みが、町並み保存地区に指定されており、なまこ壁、防火用の袖壁、卯建[うだつ]のある家が軒を並べている。敵が侵入してきた時に行き止まりと思わせて欺くために整備された鍵型に折れて続く道沿いには、作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅の史跡や城東むかし町家などのみどころがある。また、映画『男はつらいよ』をはじめ、ロケ地としても知られる。

城東むかし町家(岡山県津山市東新町40)
津山の代表的商家だった、梶村家の住居を一般公開している。増改築を繰り返したことから江戸後期〜昭和初期の建物があり、さまざまな時代の商家の暮らしぶりが偲ばれる。登録有形文化財。

つやま自然のふしぎ館(岡山県津山市山下98-1)
世界各地の動物、蝶、昆虫類、貝類、化石・鉱石類の標本を2万数千点展示。中国の珍獣キンシコウのはく製、博物館創設者・森本慶三の内臓実物標本など驚く展示物もある。歴史民俗館が隣接。両館あわせて所要1時間30分。

津山城(鶴山公園)(岡山県津山市山下135)
1604年(慶長9)、初代藩主・森忠政が築いた津山城。現在は、本丸跡や高さ45mの石垣が残る。一帯は鶴山公園として整備。西日本有数の桜の名所として知られ、桜の名所・歴史公園・名城100選にも選ばれている。

中山神社(岡山県津山市一宮695)
707年(慶雲4)に創建され、美作国の一宮として崇敬されている。本殿(重要文化財)は入母屋造と妻入に特色のある中山造という美作地方独特の神社建築様式。神門は津山城二の丸の四脚門を移築したもの。

箕作阮甫旧宅(岡山県津山市西新町6)
幕末の洋学者、箕作阮甫が13歳までを過ごした生家。1976年(昭和51)に母屋、勝手、中庭、井戸など幕末の町家が忠実に復元され、国の史跡に指定されている。土蔵には箕作家の家系図も展示。

奥津ファームビレッジ耕心村(岡山県苫田郡鏡野町長藤141-1)
古民家風の宿泊棟と研修棟、浴室棟からなり、研修棟では豆腐作り・こんにゃく作り・笹もち作り・そば打ちなどの体験(予約制)ができる。おにぎりと漬物の弁当付き。所要1時間30分〜2時間。宿泊は1泊素泊2500円。

勝北陶芸の里(岡山県津山市杉宮708)
甲田池窯跡があった杉宮地区にある登り窯と工房の里。この地区は、特に鉄分を多く含み耐火度が高いのが特徴で、雄杉焼[ゆうさんやき]と呼ばれる。また、陶芸品の土ひねり体験ができる。電気窯利用1700円、登り窯利用2500円。所要2時間30分。


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津山・美作周辺の観光スポット2 城下町津山(城東地区)

津山・美作周辺の観光スポット2

城東むかし町家(梶村邸)
出雲街道が東西に走り、その中に在るのがこの旧梶村邸。江戸時代の後期に建てられた母屋から昭和初期の蔵まで、各時代の生活様式に対応した造りが保存されています。
全体で梶村家の所有としては8つの建物があります。母屋と離れ、大きな座敷、洋風と和風の蔵、裏の客間(特別室)、茶室、そして洋館です。1928年に更に7m×34mの土地区画を西側の隣家から購入し、梶村家の所有地を31.5m×34mという現在の大きさに広げました。母屋は2階建てですが、2階は実際には物置として使用される低天井の屋根裏部屋です。家の前には小店があり、事務所や店舗として利用されていました。江戸時代(1603〜1867)、この辺りは板を張られていましたが、それ以前には土間(土の床)として放置されていました。家の東洋建築部分は、江戸後期に建てられ、洋館部分には、明治時代(1868〜1912)に、畳の間が加えられ、そして内装は、昭和初期(1930)に修繕されました。2階建ての座敷は大正時代に建てられ、現在の建物は極めて良好に保存されています。洋風につくられた東の蔵と家も、また大正時代に建てられたものです。後世の修繕は増築に限られただけではなく、建物正面や現存する建物の構造の変更をも含んでいました。石や木の格子細工(組格子・格子構造)は通りに面した元の土壁に付け加えられたもので、更に木製の補強(支え)が屋根の下に配置され屋根を9cmから15cmにまで上げています。
長い時代を通して、母屋は様々な修繕を施され、家は、その元々の形に復元するのは難しくなっています。それ故、必要な修復だけが施されてきているのです。梶村邸の建築は母屋の建築と共に江戸後期に始まり、洋風の蔵が建てられた昭和初期まで続きました。様々な増築と修繕は各時代の生活様式の変化を反映し、それ故、梶村邸は貴重な歴史遺産なのです。

城下町津山(城東地区) 
城跡と宮川の間に位置し、城東地区はたんご山の南下に広がり、城下町津山の東玄関にあたります。
中世、その地は林田郷と呼ばれ、栄えていたと言われています。1596年、この地は着々と開発され始め、1647までに城東地区は6町区を含んだ、林田町(はいだちょう)・橋本町・勝間田町(かつまだちょう)・中野町・西新町、そして東新町、 その地区の中央を貫いて出雲街道はうねり進んでいます。
城東地区の住民は近隣の村々と、広範囲に渡る品々を取引していました。
東新町は江戸時代から今日に至るまで 鍛冶屋で鎌・くわ・その他農機具を製造してきました。
江戸時代には中野町や西新町の多くの住民が津山から岡山県南部地域に品物を運ぶ高瀬舟を所有していました。
西新町はまた、日本の近代化学の基礎を築いた蘭学者箕作阮甫の故郷でもあります。
城東地区の北の上之町はかつての侍や彼らの家来や足軽達の居住区で、この地域を貫く主要道路は出雲街道に繋がっています。
1727年に米の生産高が低下し、それに併せて松平藩の統治力も低下したので住民の多くが流出しました。
しかし1818年、米の生産高が10万石(米計量の単位)に回復すると、人口は増加し、住民は再び戻って来たのです。
上之町の北の境界上には城東地区の大隅神社を含む6つの寺が次々と通りに沿ってならび、その地域に“東寺町”という名が与えられました。
出雲街道に建ち並ぶ家々の特徴は、その低さです。屋根も低く、そして木の格子戸と防火壁の藻土壁です。
なまこ壁と呼ばれる白い十文字装飾は川底の貝殻から作られ、しばしば豪商の旧家で見られています。


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津山・美作周辺の観光スポット1 津山洋学資料館など

津山・美作周辺の観光スポット1

箕作阮甫(みつくりげんぼ)旧邸
1799年(寛政11年)9月7日、箕作阮甫は箕作貞固(三代丈庵)の第三子として西新町に生まれ、1812年(文化9年)戸川町に転居するまでの13年間をこの旧宅で過ごしました。
阮甫は、父・兄の没後家督を継ぎ、藩の永田敬蔵・小島廣厚から儒学を学ぶ一方、京都に出て竹中文輔のもとで医術習得にも励みました。修業を終えて京都から帰り、本町三丁目で開業し翌年結婚しました。その後、藩主の供で江戸に行き、津山藩医宇田川玄真の門に入り蘭学の習得に努めました。以後、学問研究のため三年間江戸詰の許可を得たのです。いったん津山に帰りましたが、1831年(天保2年)以後は、家族とともに江戸に住みました。
その後、深い教養に加え、持ち前の語学力を発揮して、ペリー、プチャーチンの到来時に外交文書の翻訳に携わり、日本の外交交渉に重要な役割を果たしました。また、著作に専念し、医学関係に限らず、語学・地理・歴史・兵学等多岐にわたって出版するなど、洋学の発展に寄与しています。
一度は隠居しましたが、幕末の状況はこれを許さず翌年には「藩書調所教授職」に再度登用され、洋学をもって始めて幕府直参に取り立てられましたが、翌年江戸湯島天神中坂下で没しました。行年65歳でありました。

出雲街道
古代より津山盆地は、日本海の村である出雲から都への通行の要衝でした。
戦国時代(1467〜1590)、姫路城が築城された時、津山は姫路城への道の重要な中継点となりました。1604年、津山城築城と城下町の計画が始り、この時、道は津山と四方の町々を繋ぐように敷設されたのです。地方の領主(藩主)をしっかりと支配下に置いておくために、江戸(現在の東京)の新幕府は参勤交代を導入しました。この制度は封建(時代の)藩主に家族をそれぞれの領地に残し、ある期間江戸に住むことを要求するものでした。
1648年、封建(時代の)藩主たちの江戸への旅は出雲から姫路への旧街道を使い始め、そして松江から姫路への道は出雲街道として知られるようになりまた。交通の増加とともに店や料理屋が旧街道に出現し、津山は繁栄したのです。
1860年、街道幅は広げられ、松の木々が街道添いに植えられ、出雲街道は梶村家の南の境界に添って東西に走っています。

作州城東屋敷
出雲街道を歩いていると、白壁と火の見櫓がひときわ目をひく屋敷があります。ここには「だんじり展示館」があり、県指定文化財の豪壮なだんじりが4台展示され、見ごたえも十分。展示されている「だんじり」は10月の津山まつりに繰り出し、市街地をにぎやかに練り歩きます。

津山洋学資料館
往来盛んな出雲街道に面して建つ、赤いレンガのエキゾチックな建物は、一本の釘も使用していない千鳥破風入母屋造り。和と洋が重厚に調和し、歴史を感じさせるこの奇館は、行き交う人が立ち止まって仰ぎ見るほどに、その存在感を漂わせています。
そんな面もちですが、実は大正9年に銀行として建築されたものです。昭和53年に、現在の資料館としてオープンし、幕末から明治にかけて活躍した津山出身の蘭学者の宇田川玄随・箕作阮甫らの資料を展示しています。


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倉敷アイビースクエア

倉敷アイビースクエア(くらしきアイビースクエア、KURASHIKI IVY SQUARE)は岡山県倉敷市にあるホテルを中心にした複合観光施設である。

当施設は江戸幕府の代官所跡に明治22年(1889年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場で、昭和48年(1973年)に改修され、観光施設として再生された。倉敷紡績の関連会社「株式会社倉敷アイビースクエア」が経営・管理し、現在も倉敷紡績の登記上の所在地である。場所は倉敷美観地区に含まれ、建物は平成19年(2007年)11月30日に経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されている。

アーチが象徴的な広い東正面玄関は主に宿泊客が利用し、タクシーや観光バスもこちらに乗入れる。西側入口はかつて従業員が出入りした通用門で、現在は美観地区側からの徒歩による観光客が多く利用しており、周辺も賑やかである。

広場を囲むようにホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、児島虎次郎記念館などの各種施設が配されている。また、アイビースクエアの由来となった赤レンガの外壁を覆う蔦は工場であった頃に内部の温度調節のために植えられた。

ホテル
倉庫を改造した2階建、内側の部屋からは中庭が観え、秋は銀杏の紅葉が楽しめる。部屋数161の内、132室がツインになっているなど、グループ向けの部屋構成になっている。

館内施設
大原美術館児島虎次郎記念館 - 大原美術館の名画を収集した画家・児島虎次郎を紹介。建物は旧工場倉庫。
倉紡記念館 - 倉敷紡績の史料を年代順に展示。建物は旧原綿倉庫。
アイビー学館 - 高階秀爾の西洋近代絵画の解説、中村昭夫の写真等を展示。
愛美工房 - 陶芸や藍染の教室。
オルゴールミュゼ メタセコイア - アンティークオルゴールのコンサートを楽しむ博物館。
クイーン メタセコイア - 英国式チャペル、結婚式場
レストラン「アイビー」
和食堂「蔦」
パブリックバー「赤煉瓦」

岡山市立オリエント美術館

岡山市立オリエント美術館(おかやましりつオリエントびじゅつかん)は、岡山県岡山市北区にある美術館。岡山市教育委員会が管理を行っている。

学校法人岡山学園の安原真二郎理事長(当時)より、古代オリエントの美術品が1,947点寄贈された事を機に1979年(昭和54年)、開館した。寄贈されたコレクションは安原理事長が親交のあった東京大学の江上波夫名誉教授と、深井晋司教授の指導のもとに形成されたものであり、学問的に系統だった資料が収集されている。

当美術館の開館後も古代オリエントの美術品を収集し、2007年3月現在では4,852点もの収蔵品を抱え、国内唯一の古代オリエントを専門とする公立の美術館として西日本における研究拠点としても機能している。2004年(平成16年)には開館25周年記念事業の一環として貴重な「アッシリア・レリーフ」を購入し、古代オリエント研究者としても著名な三笠宮崇仁親王が特別顧問に就任した。

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井原市立田中美術館

井原市立田中美術館(いばらしりつでんちゅうびじゅつかん)は岡山県井原市にある平櫛田中を題材とした美術館。

井原市出身(当時は西江原村)の平櫛田中の作品を保存するために、1969年(昭和44年)に「田中館」として開館したのが始まり。その名の名残から地元では今でも田中館と呼ばれ親しまれている。

所蔵品には、平櫛田中の死後に遺族から送られた遺品や、市内の小・中・高校に寄贈されていた作品を中心としている。また、平櫛田中だけでなく平櫛田中賞を受賞した作家の作品も一部を展示している他、平櫛田中が数々の名作をつくり出した東京都台東区上野桜木町のアトリエを再現し、当時の面影を偲ばせる展示がなされている。


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林原美術館

林原美術館(はやしばらびじゅつかん、HAYASHIBARA MUSEUM OF ART)は、岡山県岡山市北区の岡山城址にある美術館。

実業家・林原一郎(1908年 - 1961年)の逝去に際し、刀剣を中心にした古美術コレクションをもとに1961年に財団法人を設立、1964年に岡山美術館として開館した。その後岡山県立美術館設立に伴い、同館開館に先立ち1986年に林原美術館に改称した。

林原コレクションの他に岡山藩主・池田家の伝来品も収蔵している。池田家伝来品には能装束・狂言装束など能・狂言に関係する優品が多いことで知られる。国宝の「太刀 銘吉房」や「洛中洛外図」(池田本)などが代表的な収蔵品である。

なお、当館収蔵の「平家物語絵巻」(越前松平家伝来)は、国内に現存を確認されている唯一の完本であり、富士通ソーシアルサイエンスラボラトリによってCD-ROM化されている。

林原美術館の場所にはかつて岡山城二の丸屋敷の対面所が存在していた。対面所の建物は明治維新後には取り壊されたが、その跡に岡山藩の支藩・生坂藩(岡山新田藩)の武家屋敷の長屋門などの建物が移築され、旧藩主池田家の事務所として利用されていた。しかし、1945年(昭和20年)6月29日の岡山空襲により長屋門と土蔵を残して焼失。美術館建設に際し、焼け残った長屋門は美術館入口として、土蔵は展示室として保存・活用された。


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大原美術館

大原美術館(おおはらびじゅつかん)は、岡山県倉敷市にある私立美術館で、財団法人大原美術館が運営する。倉敷美観地区の一角をなす。

大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。

第二次大戦後、日本にも西洋近代美術を主体とした美術館が数多く誕生したが、日本に美術館というもの自体が数えるほどしか存在しなかった昭和初期、一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであった。ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、創設者大原孫三郎の先見性は特筆すべきであろう。しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日もあったほど注目度は低かった。

大原孫三郎は1880年、親の代から紡績業を営む、倉敷の名家に生まれた。日本の児童福祉の先駆者であり、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いが大原の人生を変えたという。プロテスタント信者であった石井の影響で自らもプロテスタントに改宗した大原は、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立した。大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。

ギリシア様式の本館のほかに、1961年に藤島武二、青木繁、岸田劉生、小出楢重など日本の洋画家の作品や現代美術の作品を展示する分館、同年に河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉の作品を展示する陶器館が開館。1963年には棟方志功および芹沢_介の作品を展示する板画館と染色館が開館した。なお、現在は、陶器、板画、染色の展示室を「工芸館」と総称している。1970年には東洋館が開館し、1972年には館から離れた倉敷アイビースクエアに児島虎次郎記念館が開館した。

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岡山県玉野市 渋川動物公園

渋川動物公園(しぶかわどうぶつこうえん、Shibukawa Zoo)は、岡山県玉野市渋川にある個人経営の動物園。

有限会社ナチュレ・ファーム瀬戸内によって経営されている動物園。およそ3万坪の広大な園内は来園者用の通路を舗装せず土道のままにするなど、開発を最小限にとどめ自然の野山の姿を残しており、来園者が動物にふれあいながら季節感を堪能することができる場を提供している。また、乗馬体験や犬の散歩体験などが実施されている。さらに園内では動物だけでなく、さくらんぼや梅、プルーン、柿など有機無農薬の果樹を栽培しており、来園者に販売されている。

約80種600頭羽
野生動物約18種の野鳥が園内で繁殖し110種の野鳥を確認
毎年7月〜8月中旬にかけて入園者(小学生まで)にカブトムシ・クワガタムシプレゼントも実施

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